介護は突然やってくる【From now on】
転んだ時に痛めた(かもしれない)左肩は、結局次の診療予約の12/09まで待って 診て貰ったら何ともなかった。
…良かった。ε-(^、^;ホッ
そんなこんなで11/24から始まった小多機生活、急を要したのとコロナ禍故に中の見学や体験利用も無く入所したため、預けた私達も母も どんな感じなのか分からなくてちょっと不安。
何せ、利用契約書を交わしたのも施設の玄関に机と椅子を持って来てだったし、(本来 中に入れてもらえるのかは不明だけど、玄関で…って事は無いのでは?)玄関から中へは更に引き戸が有るため施設内の様子は全く分からないし。
せめて寝起きする部屋やトイレ・お風呂場は見たかった。更に言うなら、見守りをされるスタッフの方々がどんな感じの対応なのかは見たかった…けど叶わなかった。
その後の物品の受け渡しなんかも玄関でスタッフの方に渡すだけ。施設への出入りについても感染防止対策なんだと分かるけど、母がどんな風にお世話されているのか等は分からない。ただ、施設としても高齢の方々を預かっているのだから、それだけの気遣いをするのは致し方無いと思う。
施設でクラスター発生!なんて言ったら職員・入所者・家族にとっても一大事だし。
(下記は時事的な記事なので、今後リンク先が消えてるようなら削除します。)

コロナ5類になっても…3度のクラスター経た介護施設の施設長は | NHK | WEB特集
【NHK】「常に不安と闘っています」千葉県市川市にある特別養護老人ホームです。できる限りの感染対策を続けてきましたが、これまで3回…
中での生活は直接母から聞かないと分からない。しかし、転んだとか熱が出たとか痛がっているとか、そういうのは逐一電話報告が有るので、施設からの着信が有るとドキッとする。
施設は救急以外 基本的に対処してくれないため、どうするかの伺いを家族にしてくる。そして医療を必要とする場合、連れて行くのは家族であって施設は連れて行ってくれない。
…こんな事が有った。
入所して少し経った12/19、前日からの大雪(新潟)で北日本から西日本の日本海側を中心に物流が滞った日、施設から「(母が)前日トイレで転んだのが原因かは分からないが、右足の甲が腫れてしまい熱が39度出ている。抗原検査は陰性。医者に連れて行ってもらう事は出来ないか?」と電話が来た。
(私は県外で行けないし)妹に何とか連絡してみると言って電話を切る。
この雪で移動も難しいから無理かな…その場合は救急車案件かな…と考えながら電話をした。(けど留守電。一応要件を入れておいた。)そして暫くして妹からの返事。
妹「今日の(仕事に必要な)入荷が無くて(職場の)雪掻きしてたから、それならば!って上司に事情を説明してこの後休み貰ったわ。取り敢えず施設へ向かってみる!」
私「有難う~~!雪で大変だろうけど頼むよ~!」
…このやり取りが午後3時前、妹は何とか施設に辿り着き、一番近い内科と整形外科を訊いてそこへ向かった。大雪で道路事情が悪い中(母の)掛かり付け医院まで行くなんて、どれだけ到着に時間が掛かるか分からないのだから、ほぼ無理!
施設で教わった内科と整形外科の両医院が、実は程近い場所に有ってすぐに診て貰えて助かった。
…あの時はホントにどうなる事かと思った。ε-(;-ω-`A) フゥ…
12/25、私のスマホに妹からSMSで「コロナ陽性になってしまった!」とのMessage、それを見て慌てて電話する。
私「ええええぇ~?大丈夫なん?具合は?熱は?」
妹「微熱が出て検査キットで調べたら陽性が出て、問い合わせしたら症状が出た日の翌日から一週間経過して症状が無ければ解除だって。ただ、その間は自宅待機で出ちゃダメって」(但し、自主検査で陰性が確認できた場合のみ6日目に解除可能だそう。)
私「私が帰る予定が30日、母ちゃんの30日朝の(整形外科)診察予約…(妹)が行けないとなるとマズいよね…(・_・;)」
妹「ん~無理だね、行けないわ。陰性確認して動けるのが31日からだから」
私「そっかぁ、じゃあ何とか29日に新潟行けるように調整するさ。で、私が30日 母ちゃんを病院に連れて行くわ」
妹「ゴメン、頼むさ」
…濃厚接触者である姪は検査で陰性だったため、妹が缶詰状態の間(学校も有るので)友達の家にお世話になったとか。
12/29、高速道路の速度規制も有ってちょっと時間が掛かったけど、取り敢えず無事に実家へ到着。
翌30日の朝8時半に母を施設へ迎えに行き、9時から病院の整形外科で診察、その後リハビリ。 あと忘れちゃいけないのが、30日は〇トリから電動ベッドが届く日。私と母は病院なので姪にバスで実家に来てもらい、ベッドの設置まで居てくれるようお願いした。
病院から私と母が家に戻ると新しいベッドが鎮座しており、早速色々動かして母も喜んでいた。サイドレールも付いてこれで落下の心配も解消。(^^)
その夜、母は一人で起きてトイレに行っていた。(私は母がベッドに戻った時に気が付いた。)
3週間の入院と1ヶ月ちょいの施設生活(介助有り)で、あの時の超不安な状態からは脱したんだなぁ、と思った。
12/31、午前中は 新潟総鎮守 白山神社へ行って幸先詣(さいさきもうで)をし、神棚に入れるお札と新しい年のお守りを買ってきた。その後 妹と姪が合流。事前に相談して持ち寄った食材で、新潟の郷土料理「のっぺ」を作る。

新潟総鎮守 白山神社|初詣、七五三、縁結び、安産、厄除けなど
白山神社は新潟の総鎮守として千有余年の歴史のある神社です。各種おはらい・ご祈祷や神前結婚式、お守りの授与などを行っています。

具だくさん 新潟風のっぺい汁 作り方・レシピ | クラシル
「具だくさん 新潟風のっぺい汁」の作り方を簡単で分かりやすい料理レシピ動画で紹介しています。新潟風のっぺい汁のご紹介です。のっぺい汁は、地域やご家庭ごとに色々な作り方がありますが、新潟風に煮物仕立てにした一品です。汁という名前ではありますが、煮物として食べられる郷土料理です。ホタテやイクラを入れたハレの日仕様の、のっぺい汁です。ぜひ作ってみてくださいね。
因みにこの度の材料は、里いも・人参・タケノコ・蓮根・こんにゃく・干し椎茸・干し貝柱・鮭・鶏肉・蒲鉾・しめじ・えのき。
里芋とタケノコは水煮のパックを使用。里芋の水煮は崩れないように最後に投入し煮含める。切り方は家庭でそれぞれだけれどうちは短冊。味付けは(干し椎茸と干し貝柱のもどし汁で十分美味しいので)面倒な事をせず、顆粒カツオだしと麺つゆ、後は塩と醤油で微調整。
元旦には更に姪が2人やって来て、女ばかりの6人(母・私・妹・姪3人)で大鍋にふっとつ(← 新潟弁で〔量が沢山〕という意味)作ったのっぺを食べ(残りはタッパに入れてお持ち帰り)新年をお祝いするのがここ十数年の慣例。(私だけ帰省して、相方は猫〔嘗てはウサギ〕と一緒にお留守番。^^;)
出来上がったのっぺの味見を母に頼み「うん、大体こんな味だね」とお墨付きをもらう。こうやって○○家の味が受け継がれていくんだなぁ、と何となく感慨深く感じた。
その夜は母・私・妹・姪の4人で[は〇寿司]へ食事に出掛け、母も久し振りのお寿司でお腹いっぱい。(妹親子はその後自分の家へ帰宅。)
その夜、私は近所のお寺の除夜の鐘の音を聴きながら、ゆっくりお風呂に浸かって年を越した。← 新潟西堀寺町界隈住まい (^^)
明けて令和5年1月1日(2023/01/01)、午後3時頃に妹と姪3人(計4人)がやって来た。
事前に手配して解凍しておいたズワイガニ(ボイル済み2kg)と、昨日作ったのっぺを皆で食べる。姪達曰く、カニを思いっきり食べられるのは一年でこの日だけ!だそう。…そりゃ良かった。高くても買った甲斐が有ったってもんだわ。(^_^;) 購入者=私。
盆と正月に会いに来る(既に成人済みの)姪2人、彼女らもそろそろ良い年頃で 仕事や彼氏の事なんかも色々話してくれる。じきに結婚の話なんてのも有るかな?と思うと、月日の経つ速さを感じる。(月並みだけど、私も君らのオムツ替えたんだよー。)
皆で蟹2kgを食べきり、のっぺをそれぞれ2杯ずつ食べ、夕方5時半頃 6人で[びっくり〇ンキー]へ夕飯を食べに向かった。
お肉は別腹…あれだけ食べたのに彼女らはまだ入るらしい。若者の胃はあっという間にスペースが出来るみたい。(◎_◎;)
皆で歓談している時、母に
私「今年は相方さんがこっちへの転勤願を出してて、叶えば7月に来れるよ。ダメでも私だけこっち戻るつもりだから、そしたら母ちゃんを家に戻して面倒見るよ。だからそれまで待っててよ」
という話をした。本心で、そろそろ歳も歳だし親孝行しなきゃだよな~と考えていたから出た言葉。(実際、相方さんは転勤願を出している。)
その後も楽しく会食していた…のに、ふと隣にいる母を見ると ポロポロ 涙を流していた。
私「どうしたん?!何で泣いてん?どっか痛い?具合悪い?」
母「…病院で介護の検査(介護度の認定調査の事)して施設に入った時、自分は姥捨て山に捨てられたんかなぁ~って思って…もう帰って来れないんかって思ってた…」
私はその言葉に驚いて否定した。
私「違うよ~、母ちゃんに何か有った時に見てあげらんないから、誰かが出来るようになるまで待って貰おうと施設入れたんだよ~。ちゃんと家に帰れるから、それまで待っててよ~ ((;゚ロ゚)オロオロ 」
妹「そうだよ~、今は一人だと危ないから看て貰ってるだけだよ~。心配すんなて~ (・Θ・;)アセアセ 」
母は紙ナプキンで涙を拭きながら一生懸命笑顔を作ろうとしていたけど、唇は嗚咽を堪えたくて震えていた。
今迄の私や妹の言葉は、不安にさせてしまう程薄っぺらかったのかもしれない…。母がそんな風に感じていたのかと思ったら申し訳無くなった。
私「ほらね~、女の子産んどいて良かったろ~?息子に風呂や下の世話、焼いて欲しくないろ~?」
重い空気から脱したくてそう言ったら、母は泣き笑いでウンウンと頷いた。
私も妹も姪達も、みんなで笑った。
01/02、母と朝食の後、妹が(母)を迎えに来た。
私はそのまま高速へ乗って自宅に帰り、妹は一緒に買い物をした後、母を施設へ送った。(施設内で履く靴を買いに行ったらしい。)
・・・
今後 私は月イチで帰るつもりだけど、それ以外で何か有る時は妹にお願いするしかない。
あと半年、元気に過ごしてもらわないと!と思う。…だけど、私も妹も感じるのは母の「もの忘れ(痴呆?)」が増えたのと「我儘になってきた」ような気がする事。最近やたらに色んな要求を電話でして来るようになって(しかも何度も同じ事)家族に会いたいってのも有るのだろうけど、妹がいつでも来てくれると思っているようでタチが悪い。
怪我をする前の独居時は、三輪自転車乗って医者や体操・買い物に行ったり、毎週日曜日はバスに乗ってカラオケ教室へ通ったり、彼方此方に友達もいて電話で話したりしていた。
何か、それまでの方が元気で生き生きしていたような気がする。
人って(お客様のように)自分でやらなくなると頭も身体も衰えていくのかな…。
早く施設から連れ出してやりたいけど、ゴメン 今はまだ無理。
・・・
介護は始まったばかりでこれからも続くのですが、この度の話はこれでお終いです。
文才及び語彙力が無いので上手く纏められず、随分と記事更新に時間が掛かってしまい反省しております。お読み頂いていた方、長々とお付き合い頂き有難うございました。m(__)m
申請していた要介護状態区分ですが、昨年12月半ば過ぎに決定し【要介護2】になりました。有効期限が有るので、それはその時の状態をみて更新するか考えます。
因みに小多機の12月利用料は、宿泊と食事の日数と諸々で160,000円弱。年金(1ヶ月分)を超えてるので、 年金以外の貯えがないと流石に長居は出来ないなぁ、と思いました。(^^;
この話は「介護は突然やってくる 【8】」の続きです。脈絡を知りたい方は前の記事からお読み下さい。m(__)m
Re: Nanako 様へ
Nanako 様、こちらこそ初めまして。この度の読み難くて長い記事にコメント頂き、誠に有難うございます。
自分も(家族も)人生が長くなればいつか通る道、この度の事が有ってとても勉強になりました。
今はNetで色々調べられるのでとても助かります。^^;
もし何か良い情報を見付けられましたら、是非コメント欄で教えて頂けると嬉しいです。(^-^)
またのお越しをお待ちしております。
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